パリピ孔明で登場する女性3人組のグループ”AZALEA(アザリエ)”のこれまでの軌跡を、3分程度で読めるようにまとめました。
これを読めば、アザリエの誕生から、覆面アイドルになるまで、新生アザリエとしての再出発がわかります。(ネタバレ注意です!)
アザリエの歴史
アザリエ誕生期
アザリエはメンバーの3人が高校1年生のころ誕生しました。
初舞台は、高校の文化祭のステージです。アザリエというバンド名は、この文化祭直前に決まりました。アザリエは花の名前で、その花言葉の「青春の喜び」からその名はつけられました。
ドラムの双葉(ふたば)のアイディアで名付けたアザリエ。当時の3人は音楽を純粋に楽しんでいて、キラキラとした笑顔がまさに”青春の喜び”を表現しているようでした。
アザリエ東京での苦しい時代
高校卒業した3人は、揃って音楽活動をするために東京に上京します。
夢を追って上京したものの、なかなかチャンスに恵まれず、ライブをするもライブハウスを半分も埋められません。バイトをしながらの音楽生活、身も心もすり減っていきました。
プロデューサー唐澤の登場
暗い3人のもとに、大手音楽事務所の唐澤というプロデューサーが近づきます。
「曲も振り付けも衣装も指示に従えば、必ず売れる」「2年以内にドームツアーができる」こんな言葉で唐澤はデビューの話を持ち掛けます。はじめは自分たちの音楽を続けるんだ!と意気込んでいた七海ですが、バイトと音楽を並行する生活に疲れ果てる一夏と双葉の姿をみて、やがて唐澤のもとでその提案を受け入れることにしました。
アイドル期
唐澤の言う通りデビュー後すぐに売れだしたが、露出の多すぎる衣装に加え、パフォーマンス重視のため演奏もさせてもらえず、不満は募り3人の関係もギクシャク・・・。一方でバイトせずとも、音楽1本で食べていけるという経済力を得ることができました。
やりたい音楽ができない苦しみと、既に大きなお金が動いてしまっていて、自分にはどうすることもできないという葛藤の中で、七海の表情も暗くなるばかりでした。
新生アザリエ
サマーソニア出演をめぐる10万イイネ企画の決戦の舞台、渋谷109前での路上ライブでの出来事がきっかけで、アザリエは元のロックバンドに戻る決意をします。
そのきっかけとは、渋谷でのライブで聞いた英子の新曲”DREAMER”に心を打たれたことでした。
”DREAMER”を聴いたアザリエの3人は、「戻ろっか?あの頃に」の七海のセリフを皮切りに、涙を流しながら心を一つにします。大手事務所を辞める覚悟で、アイドルユニットとしてのアザリエを捨てます。
そしてその場で、覆面を外し素顔をさらし、元々やってきたロックを”新生アザリエ”として展開。
もちろん唐澤は激怒しますが、彼女たちの音楽は客には大ウケし、動画のイイネが10万を超えるほど大好評。
新生アザリエと唐澤プロデューサーの再出発
そのライブ後の打ち上げでのことです。孔明が唐澤に、唐澤自身が過去にやってきた音楽を思い出させたことも働いて、唐澤はアザリエの”自分の音楽をする”という決意を受け入れ、身を引こうとします。
しかし、”唐澤の曲をアザリエのスタイルでやっていきたい”という3人からのお願いされ、唐澤はそれを受け入れます。「お前たちは・・俺が必ず売ってやる!」という力強い言葉で、再び唐澤がプロデューサーとしてバックアップすることになりました。
まとめ
パリピ孔明で登場する女性3人組のグループ”AZALEA(アザリエ)”のこれまでの軌跡を、アザリエの誕生から、新生アザリエとしての再出発するまでをまとめました。
・高校卒業後は東京に上京し音楽活動を続けるも、3年経っても芽が出ず
・大手音楽事務所”KEY TIME”所属となり、唐澤がプロデューサーに
・アイドルユニットとして売れる一方で、やりたい音楽はできず
・英子の歌に感銘を受け、自分たちの音楽を再びやることを決意