パリピ孔明でよく出てくるワード「たみくさ」についてのまとめ記事です。
パリピ孔明では第21話のタイトルでも「たみくさのために」とあるように、登場人物のセリフで「たみくさ」という言葉がよく使われています。
「たみくさ」の言葉の意味、パリピ孔明の作品のなかでどんなシーンで使われているのかを調査しました。
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「たみくさ」ってどんな意味?
「たみくさ」の意味
民草とは、人民や庶民という意味です。
一般的には「たみくさ」とは、ネットスラングで、「民草」(みんくさ)という言葉のことを指します。
「民草」は、特定の人物や団体に対して軽蔑や非難の意を込めて用いられる言葉であり、オンラインのコミュニティやSNS上で使用されることがあります。この表現は、一般の人々や庶民を意味する「民」と、「草」を組み合わせることで、軽蔑や侮蔑の意を強調したものです。
上から目線での言葉ということです。あまりいい意味で使われていないので、普通の会話で「たみくさ」を使うのは注意が必要ですね!
パリピ孔明での「たみくさ」はどんな意味で使われている?
一般で使われている「たみくさ」の悪い意味とは違い、パリピ孔明での「たみくさ」は軽蔑や侮辱の意味はありません。
愛すべき国民
作品の中で孔明は、英子の歌で天下泰平を成し遂げようとしています。
孔明は渋谷に転生する前は、蜀(しょく)という国の重要な政治家であり、軍事戦略家でした。彼は、劉備(りゅうび)という君主(後に皇帝)の顧問として、その知恵と才能で国を支えました。
孔明は人生をかけて国を立て直し、民の生活を安定させるために尽力しました。やや上から目線ではありますが、本気で迷える民を救いたいという気持ちが十分伝わってきます。
上の一コマでもあるように、転生した現代の日本でも、平和な世の中を創りたいという思いは変わっていません。
かつての孔明の君主である劉備も「民草の悲哀が大地を覆っております」と言っています。
上に立つ人がこんなに熱い思いがあるとは、劉備の治める国(蜀)の民は幸せですね!
苦しんでいる人たちを救いたい
そして英子もまた、自分の歌で苦しんでる人たちを救いたいと願っています。
3巻で、自分たちのやりたい音楽ができない状況に苦しむ七海ためにマリアディーゼルをフルで熱唱する英子。七海を励ます中で、自分の足りないものをつかむことができました。それが「たみくさ」です。
15巻の単独ライブの企画をする際も、英子はなんのために自分は歌うのか・・と思い苦しみます。しかし人生の目的を失った女性と出会い、元気づけるなかで、この答えとして「己の心に従え」というテーマを見るけることができました。
英子も孔明と同じく、自分の歌で、苦しんでいる人や迷っている人の背中を押してあげたいと思っています。「人のために」というところが孔明の思いと一致します。
英子はこれだけの思いがあってこそ、人の心を動かす歌が歌えるのですね!
「たみくさ」は三国志のなかで出てくる言葉?
パリピ孔明ではこれだけ「たみくさ」という言葉が出てくるので、何か三国志と関係があるのか、史実にでてくる言葉なのかを調べました。
結果、三国志に特別な意味として「民草」が使われているという事実はなく、普通に国民・庶民という意味で使われているということがわかりました。
まとめ
『パリピ孔明』でよくでてくる「たみくさ」がどういう意味なのかをまとめました。
・ネットスラングで侮辱や軽蔑の意味もあり
・パリピ孔明では悪い意味では使われていない
・孔明と英子の「苦しい人を救いたい」という共通の思いを意味している